DIR EN GREY(ディルアングレイ)のローディーをしてた時の裏話を教えます
はじめに
ヴィジュアル系バンドのDIR EN GREY(ディルアングレイ)のローディーを、ほんの僅かな期間ですが正式に所属してやっていた時期があります。DIR EN GREYがメジャーデビューしてお化粧バリバリの頃にやってましたが、一通りのことは経験できました。
そこでこの記事では、DIR EN GREYのローディーをしてた時の裏話を話したいと思います。
最終更新日:2023年10月1日
有名バンドのローディーになるには?
既にメジャーデビューしてる有名バンドのローディーになるには運だけですね。例えば、自分の好きなバンドがローディー募集してなきゃそもそも無理ですし、好きじゃないバンドや知らないバンドのローディーなんてやりたくもないですよね?笑
ギター、ベース、ドラムなど楽器に詳しくないとなれないかと言えば違うし、特別な資格や楽器のテクニックが必要とかもないです。
強いて言えば、そのバンドが好きかどうか、実際にそのバンドのライブを観に行ったことがあるかなど、こちらのほうが大事かと思います。
但し、ローディーにもギター担当のローディーが居たり、ドラム担当のローディーが居て、ギターのローディーならギターに関してある程度は詳しくないとチューニングとかができないので、最低限の知識や技術は必要になってきます。
プロレベルにギターが弾けなきゃならない、プロレベルにドラムが叩けなきゃならないとかはないです。
私はDIR EN GREYのローディーになれましたが、その経緯を簡単に話します。
当時私は、DIR EN GREYが好きでよく見てた音楽雑誌にディルの記事が載ってて、そこでローディー募集をしてました。
興味本位で履歴書を送ってみましたが、数ヶ月後に電話があり、その時は電話のみで、当時東京には住んでなかったのでおそらく東京に住んでる人を事務所側は希望してたのだと思われます。
それから大学へ進学して東京へ上京しました。
夏くらいから大学もほとんど行かなくなり、ある日、DIR EN GREYの事務所へ直接電話をしてみました。
以前、履歴書を送って一度電話をもらった者ですがまだローディーは募集してますか?と。
一度事務所へ来て下さいとのことだったので、翌日渋谷にあるサンクレイドの事務所へ行きました。
その時面接をしてくれたのが、当時、DIR EN GREYのマネージャーをしていた井上篤さんです。
20分くらい質問に答えたりして、その場で採用が正式に決まりました。予想外に早くあっさりしていましたね。
その時釘を刺されたのが、ミーハーにはならないでということでした。
DIR EN GREYはミュージックステーションにも出演してましたし、当時は人気絶頂期の頃であり当然ですよね。
しかも、採用された翌日から仕事だったので、翌日にはDIR EN GREYのメンバー全員とお会いして話をしてます。笑
夢の中にいるような感覚で、そりゃそうですよね、実際に横浜アリーナでライブを観に行ってますし、CDを毎日のように聴いてたバンドのメンバーが目の前に現れるんですから。
音楽業界でこんなにあっさり働くことができるなんて夢にも思ってませんでした。
何故私を採用してくれたかは正直わかりません。たまたま誰でもよくて人が欲しかったのかもしれません。
後々話を色々聞くとわかるんですが、やはりすぐにローディーを辞めてしまう人が多いそうです。
私が入る前にもすぐに辞めてしまった人がいたようです。
私も数ヶ月で辞めてますので、辞めたくなる原因はよくわかりますが。笑
普通のミュージシャンやバンドならおそらくないと思いますが、DIR EN GREYのローディーの場合、一番ネックだったのが機材トラックの管理でした。
機材などを運搬するトラックがあるのですが、一番下っ端のローディーはトラックを自分で管理しなくてはなりません。
トラックは2t車で、これを自分で駐車場を借りたりして管理しろと。
これが嫌で私は辞めたのですが、おそらくすぐに辞めたローディーもこれが要因だと思われます。
めちゃくちゃブラックです。笑
2tのトラックを自分で管理するとなると東京ではかなり大変です。駐車場なんて借りる余裕はないし、どこかに路駐して止めておくしかありません。
スタジオに行けばスタジオの駐車場に止めておけますが、それ以外は自分でどこかに止めておかなきゃなりません。
事務所には駐車場なんてないし、このトラックを管理し続けるのが難題でしたね。
ローディーの仕事内容は?
DIR EN GREYの場合は、機材運搬、搬入搬出、楽器のセッティング、ツアーで回る高速道路の順序や金額の算出、テレビ出演やスタジオの同行などが主な仕事でした。惜しくも私が在籍してた頃はMステの出演がなかったので、Mステ名物のティッシュBOXは貰えてません。
機材の搬入搬出が一番の力仕事で、ここが一番みんなピリピリしてます。
但し、ライブがスタートすると下っ端のローディーは舞台袖にはいないので、客席後方からライブを観ることができたのがメリットでした。
常に関係者専用のパスを首に掛けてるのでホール内は自由に出入りできます。
ローディーの給料は?
DIR EN GREYの場合は、基本的には無給です。インディーズバンドのローディーと同じ扱いで、最低半年は無給、それ以降は多少の給料は出るようですが、コンビニバイトの時給と大差はありません。これで喰って行くことは難しいです。
但し、有名バンドだけあってローディーをやり続けるメリットはかなりでかいです。
DIR EN GREYのローディーの場合、最後までやり遂げて綺麗な形での卒業となると、希望すればサンクレイドに所属してメジャーデビューすることが可能となります。
実際にDIR EN GREYの元ローディーのMANJ゙(まんじ)さんや拓磨さんはサンクレイドからSel,m(セルム)というヴィジュアル系バンドでメジャーデビューしてます。
ローディー時代の裏話は?
私の在籍してた頃の先輩ローディーが、MANJ゙さんと拓磨さんでした。笑拓磨さんは当時、ESPの専門学校に通いながらDIR EN GREYではキーボードのローディーをしてましたね。拓磨さんはめちゃくちゃ優しかったのを今でも覚えてます。
MANJ゙さんの本名は韮塚さんと言いまして、当時からDIR EN GREYではドラムのローディーをやってました。
韮塚さんは当時、NIRVANAのカートコバーンのような金髪のロン毛で、スタジオ終わりによく一緒に電車で高田馬場駅まで帰ってた覚えがあります。
時には厳しくもありましたが、韮塚さんも根本的にはとても良い人でした。
その他には、指吸さんという方もボーカルのローディーをやってましたね。この人はマジで××でした。笑
私と指吸さんはよく仕事中にメンバーが欲しい物を買い出しに行かされてましたね。しかも機材を積んでる2tトラックで。笑
中野ブロードウェイまでトラックを走らせて、アニメのDVDを買いに行った覚えがあります。ベースのトシヤさんはアニメがめちゃくちゃ好きなんですよね。
ライブツアー中、私が大きなミス(大遅刻)をした時、トシヤさんに頭を優しくポンポンしてもらったことは今でも良き思い出です。
まとめ
DIR EN GREYは今でも大活躍してる有名バンドで、この時の経験は少しだけ誇らしくもあります。本当に数ヶ月という短い期間でしたが、音楽業界を垣間見ることができました。
ディルのメンバーはみなさん優しくて嫌なことを言われたことは一度もありません。
シンヤさんは無口だけど良い人オーラが半端なかったです。薫さんは恐れ多くて全く話せてませんがとてもクールでイケメンでした。
京さんは生で見ると本当に小さくて、初めて掛けていただいた言葉が「すぐにやめんといてなー」とめちゃくちゃ優しい声の関西弁?で言われました。
特にトシヤさんとダイさんはめちゃくちゃ良き人でしたね。すごく気さくで当時から本当に優しかったです。
影ながらですが、これからもDIR EN GREYの活躍を祈っております。